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    「子ども応援便り」11号編集に寄せて
  • 子ども応援便り 編集長 高比良美穂
高比良美穂
高比良美穂
 表紙の人は、なでしこジャパンキャプテンの澤穂希さんのインタビューです。

 インタビューは、女子W杯での優勝の興奮さめやらぬ8月初旬、兵庫県神戸市の王子スタジアムで行われました。

澤選手
練習試合を終えグラウンドから
戻ってくる澤穂希選手
 猛暑の中、大学生チームとの練習試合が終わって汗を拭うとすぐに、髪の毛をさっと束ね直して、素顔のままで現れた澤さん。「忙しいでしょう?眠れていますか?」の質問に、真っ白な歯を見せ、ニカっと笑って「はい。新幹線の中で眠ってます!」。小顔で笑顔の似合う可愛らしい女性でした。気さくに、そして力強く、子どもたちや被災地に向けての思いを語ってくれました。
 スペースの事情で本紙には掲載できませんでしたが、被災地のみなさんへのメッセージをあずかってきました。
 「今回の震災で、私たちが普段通りにサッカーができることがどんなに幸せで、ありがたいことかを知りました。W杯の時には、被災地のみなさんから『勇気をもらった』『感動した』との声をたくさんいただいたけれど、好きなサッカーをしている私たちが声をかけてもらえるなんて…。逆に感謝しなくてはいけないのは、私たちの方です。本当に感謝の気持ちでいっぱいです」


「教育を語る」のコーナーは、今、子どもたちにも大人気の教育評論家の尾木ママの登場です。

 実は、当編集室は創刊以来、ずっと尾木直樹先生にはお世話になっています。教育関係の新しい調査結果が出ると解説をしていただいたり、家庭や学校が抱える深刻な課題への解決策を聞きにうかがったり・・。被災地支援号外にも、すぐにメッセージを寄せてくださいました。学校の先生だった頃は熱血教師だった尾木さんは、子どもたちの気持ちも学校現場の事情も知り尽くしている上に、自らも子育てに一生懸命とりくんでこられた元祖イクメンです。何を質問しても、経験に基づく具体的なエピソードが出てくる、出てくる。さらに、統計や自前調査の数字に加えて、過去の教育政策、外国の事例などのさまざまなデータが頭に入っていて、教育を
語るのに、これほど
尾木さん
「子ども応援便り」を手に笑顔で
お話しして下さる尾木直樹さん
ふさわしい人はいない!というような方なのです。今回も本紙に掲載したメッセージのほかに、被災地で子どもたちと交流した時に、専門家として心配になったことをもとに、 これから必要な支援やその方法のアドバイスなどもいただいてきました。  今回は、分刻みのスケジュールの合間の法政大学での取材だったのですが、直前までドアの外で学生さんの卒論や就職相談にのっていました。「お待たせ〜」と席についた尾木さんは、お会いするたびにどんどん若返っている印象。「今ではほんとうに、お姉キャラと思っている人が、2割はいるのよん♥」常に前向きなのが尾木先生らしい。でも、話題が日本の教育制度や政策の話に及ぶと、「日本の教育は、もうどうしようもないところまで来てる!」と力説。その姿は熱血先生そのもの。やはり、教育を語る時は熱い男″の顔でした。私たち編集室も、「のんびりはしていられないよ。まだ甘い!」と少々喝を入れられましたが、それでも帰り際には「がんばって♥」と励まして下さったところが尾木先生らしいです。いつも尾木先生には勇気をいただいています。

被災した教室
津波で破壊された教室。ガラスは割れ、壁と天井ははがれ落ち、イスも机も流されていました。
取材風景
避難所となっている学校で、子どもたちから震災当時の様子をうかがいました


 中面は、教育復興特集です。

 当編集室では、震災直後から映像班を被災地に送り、岩手県釜石市を中心とする被災地の学校現場の様子をありのままに記録し続けています。撮影初日、間借り校舎での学校再開に向けて準備を進める教員の方とともに、津波で壊滅的な被害を受けた海辺の町、鵜住居(うのすまい)地区の学校舎を訪ねました。市街地から延々と続く瓦礫の中を進むと、どこが運動場だったのか、柵だったのかもわからなくなった焼け野原のような中に、小学校と中学校のコンクリートの校舎だけが並んで残っていました。鉄骨がむき出しになった渡り廊下、3階の教室の窓にはひき波の際に突っ込んだままの車…。イスも机も流されたがらんどうの教室からは、目の前に広がる穏やかな海が見え、案内してくれた教職員の方が「ここは、あの日まで、まるで桃源郷のようなところだったから」とぽつり。あとで分かったことですが、ご本人も、新築したばかりの自宅を流されていたのです。自らも被災し、家を失くし、親族を失くしながら、気丈に学校再開に向けて黙々と準備を進める教職員のみなさんの姿に心を打たれました。
 この学校は、登校していた生徒は、隣の小学校の児童の手を引いて避難し、全員無事だった中学校で、その後“釜石の奇跡”と呼ばれるようになった中学校です。今号では、避難所からの登校、間借りした校舎での始業式、体操着での入学式、給食の復活から一学期の終業式までを紹介しています。

 今回の大震災における、子どもたちや教職員のみなさんの心の傷は、私たち編集部には計り知れないものがあります。震災から時間が経つにつれて、ある種の「ハイ」と「緊張」の状態がとけ、フラッシュバックや不眠、鬱などの深刻な症状が出てきたというような報告が増えていきました。特集面には、教員経験と被災経験を持つ「心のケア」や「防災教育」の専門家にお集まりいただき、子ども応援隊″として、保護者や教職員の方向けに子どもと接する時のアドバイスをいただきました。編集しながら、あらためて、「心のケア」は、大メディアが取り上げなくなるこれからこそ長い期間をかけて、サポートしていかなければならない課題なのだと実感しています。
 引き続き、子どもたちの笑顔のために、保護者や教職員のみなさんの支援を続けていきたいと思います。
 


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