ここ10年、いじめや不登校などを解決するための教育改革に取り組んできたはずなのに、逆に教育の機会均等が失われつつあります。教育現場にも競争的なものの考え方が色濃くなってきたのです。
競争の背景には、国の財政問題があります。教育費においても公的な負担が減り、個人の責任で教育を行わなければならなくなってきています。
そもそも、公的な負担は社会のセーフティネットであるはずなのに、それがなくなりつつある中で競争が強調されれば、当然、経済的な基盤が弱い家庭や障害者、高齢者、病人などの社会的な弱者を直撃します。
その結果、保護者の経済力によって教育環境にも差が出て、小さいうちから、将来をあきらめてしまう子どもたちも増えてきています。
学校教育は、すべての子どもたちにチャンスを与え、ケアをする場でもあります。例えばバスケットボール部で部員が30人いても、正メンバーは5人。メンバー交代しても、出場できるのはせいぜい12〜13人程度。残りの選手に対して、プロならば自分で這い上がれ」というところかもしれませんが、学校現場ではこうした子どもたちへのケアが重要なのです。ケアが行き届かないと、だんだん希望が持てなくなってしまいます。
今、教職員に必要なのは、子ども一人ひとりに向き合える時間。少人数学級の実現や時間の確保は、現場の教職員たちの切実な願いなのです。