今秋の学力調査報道では、多くのメディアが経済力と教育格差の関連性を指摘していましたが、子どもの教育は経済力や地域に関係なく保障されるべきです。
ところが、最近、学校教育が経済の論理で語られることが多く、最低限の保障も危うくなってきています。
教育環境の整備を担う財源についても、国からの手当を減らし、「各自治体で行いなさい」という流れです。中には、財政が苦しく、教育を優先したくてもできないという事情の自治体もあり、実際に金額に地域差ができてしまっています。
教育と経済は基本的に違います。子どもの教育は未来への投資。未来に投資し、責任をもつのが国家です。教育に投資しない国には将来がありません。
保護者もテストの点数に一喜一憂するのではなく、今の教育に何が必要なのかを真剣に考える時です。
たとえば、現在の学習指導要領は、量よりも質のための「ゆとり」を目指してスタートしたはずなのに、その検証がないまま、「学力低下」など、新しい情報が入ってくると、いつの間にか悪者扱い。保護者も国も突然、考え方を変え、制度まで変えてしまう。
つまり、日本の教育政策には、「日本の子どもをどうしたいのか」「そのために教育はどうあるべきか」という理念がないのです。目先のことにとらわれた教育改革は、教育現場の混乱を招くだけで、子どもたちのためになっていません。
今こそ、保護者や先生という子どもの身近にいる大人たちが日本の教育の理念を語り、声をあげる時です。