伊豆急行の電車運転士 太田敏博さん(28)
小学校の教室から走る電車が見えて、学校帰りに電車に向かって手を振ると、運転士さんがニコッと笑い返してくれた。それがすごくうれしくて。それに、大好きな地元の伊豆に残って働ける仕事がしたいと思っていました。伊豆急行は、まさに地元の方の生活を支えている企業です。会社へのあこがれも大きかったのかもしれません。
電車の運転は、秒単位の仕事。常に時間を気にしながら、制限速度も守る。運転士になりたての頃は緊張の連続で、多少ゆとりを持って運転できるまでには何年もかかりました。
電車も人間と同じで、一台一台全く違うんです。種類が同じでも、加速の仕方、ブレーキの利き方などに癖があるし、同じ電車でも天気や気温によっても調子が変わってくるんですよ。
その日に乗った電車の癖や調子をすぐにつかんで、駅のホームの停止位置にバシッと止める。もちろん時刻もぴったりに。そう簡単ではないだけに、やりがいも大きいです。
これからも、地元の方はもちろん、旅行や出張で利用する方も車内で快適に過ごしていただけるよう、安全な運転を心がけていきたいと思います。
イタリアンシェフ 廣瀬裕子さん(29)
私が通った高校は、同級生のほとんどが大学進学する学校でした。大学を選ぶにあたって、「勉強したいことがある」のではなく、進学ありきで、「何を勉強しようか」と迷っている自分に気づき、なにかが違う、と感じました。それで、小さい頃から工作やお菓子づくり好きだったことを思い出し、調理師の専門学校へ進むことを決めたのです。
専門学校を卒業後、イタリアに渡り5年間ほど修行。修行先のお店のオーナーは70歳を超えたおばあちゃんですごく厳しい人でした。生活用品の買い物も頼まれることもあって、薬ひとつ買うにもひと苦労。「なんでこんなことまで私が?」と思ったけれど、あの経験を通してコミュニケーション力や交渉力が身についたのだと、感謝しています。
シェフの仕事は料理だけではありません。器や食材を仕入れたり、店内の内装を考えたり、時にはイベントの演出や運営も。いつも、お客さんの喜ぶ顔が見たい、いい意味で驚かせたいというのが基本にあります。夢は、いつか自分のお店をもつこと。田舎の一軒家レストランで、自分で育てた野菜やその土地の食材を生かしたオリジナル料理を出せたらいいなと思います。
北里大学東病院看護師 大永里美さん(32)
結婚しても、子どもが生まれても、ずっと続けられる仕事がしたくて、迷わず選んだ看護師ですが、なりたての頃は、何を大事に看護をするのかという自分の目標がはっきりとみえなくて、ただノルマをこなすだけの日々。体も辛くて、何度も辞めたいと思いました。
でも、今までしゃべらなかった患者さんがポンと自分の気持ちをしゃべってくれたり、心を開いてくれたり、そんなことを経験するうちに、看護って与えるだけじゃないことに気付きました。入院してきた患者さんは、今までの人生の歩みや、大事にしている価値観や信念といった深いお話をしてくださって、いろんな方たちの生き方に触れることができるのです。
患者さんを病人としてみるのではなく、病気や身体の状態以外にも、家族との関係、仕事のことや今まで生きてきた人生などを含めて理解すると、その方の全体像が見えてきます。そうした全体像を理解して患者さんに接することを大切にしたいと思うようになりました。ご本人にもご家族にも尊敬の念をもって看護したい、それが今の私の看護観。看護師をずっと続けて、少しでも多くの方と接していきたいと思っています。
東京消防庁青梅消防署
特別救助隊員(レスキュー隊員)
武居 正さん(29)
地下鉄サリン事件や阪神大震災が起きたのは、私が中学生の頃です。その時何もできずにただ見ているだけの自分が歯がゆくて、自分に何かできることがないかと思っていました。そんな時にテレビの特集番組で、厳しい訓練をして火の中に飛び込んで人命救助をするレスキュー隊員の姿を観ました。自分の体を使って人を助けられるって格好いいなと憧れました。
でも、人命救助はレスキュー隊員だけでできる訳ではありません。火の中でも焼けないように後ろから放水して道を作ってくれる仲間たちがいるからこそ、飛び込んでいくことができます。信頼感が恐怖を消してくれる。だから救助できたときは、チームみんなで助けたという達成感あって、やっていて本当によかったと思います。
どんな状況でも最後まであきらめない気持ち、折れない心を作ることが大事。これからもっと知識も技術も磨いて、一人でも多くの人を助けていきたいです。
誰か困った人がいたときには、私たちレスキュー隊の姿を思い出して、「私も自分の手を差し伸べて助ける力になろう」、そんな気持ちをもってもらえたらうれしいです。