2011年9月、「顔が見える支援・交流を」と始まった当プロジェクト。参加校からは、「震災を人ごとに感じていた子どもも、相手の立場でものを考えられるようになった」との声が多く聞かれました。交換した手紙や寄せ書きは、「いつでも読めるように」と教室や廊下に掲示され、休み時間のたびに読み、相手校のクラス全員の顔と名前を覚えてしまうことも。今回は、そんな交流の様子の一部をご紹介します。
文通で親交を深めた両校。ある時、 荏田西小が小久慈小に「震災後に絆を意識したこと」「雪の被害について」などのアンケートの依頼をしました。回答欄には「近所の人同士で助け合えた」「雪が降ると歩道が歩 きづらい」など、被災地、雪国ならではの実感が記してありました。「子どもたちは文通を通して、『普通であることのありがたさ』を学びました。子ども同士の友情を育むうち、担任同士の友情も生まれたことも大きいです」(荏田西小・村田敦子先生)。
児童会が中心となって何か被災地支援を行いたいと考えていた修道小では、掲示されていた壁新聞を見て、すぐに応募を決めました。湊第二小からの返事には「通っていた学校が被災して使えなくなって仮設校舎に通っている」「多くの友達が転校し、全校児童が半分くらいに減った」ということが書いてありました。「子どもたちは、当たり前だと感じていた普通の生活がいかにありがたいことなのかを実感したようです」(修道小・森井元美先生)。
矢田小では、総合学習で震災を学び、「読んだ人が元気になるような明るいメッセージを送ろう」と参加。相手校の金房小は警戒区域内にあったため、友だち同士がばらばらになってしまった上、ようやく避難先の学校に慣れた頃に、新しい友だちとも別れ、仮設校舎に移ることになりました。「矢田小の応援メッセージに、『おかげで元気になったよ』と笑顔で返事を書く子どもたちを見て涙がでました。ほんとうにありがたかったです」(金房小・山邊彰一校長)。
霞丘小では、学校で配布された「子ども応援便り」を読んでプロジェクトのことを知った保護者が、担任の先生に提案。「みんなで応援しよう!」と、子どもたちも大賛成でスタートしました。数回のやりとりの後、交流はビデオメッセージへと発展。「僕たちは元気です!」「倉敷市に興味を持ちました」。方言で元気いっぱいに話す小袖小からのビデオレターを見て、霞丘小の子どもたちは、震災だけでなく東北地方にも関心を広げることができました。
聖ヶ丘中では、生徒たちが掲示板の「子ども応援便り」を見て、生徒会での参加を決めました。一人でも多くの仲間に応援メッセージを書いてもらおうと、チラシの配布や校内放送で、呼びかけを行いました。メッセージを書くための情報として、生徒会で鹿島中のことを色々と調べたといいます。「子どもたちは、現地に行けなくてもつながることができることを知り、より主体的に動くようになりました」(聖ヶ丘中・返田富美先生)。
「知らない人からメッセージをもらう相手の気持ちになって、まずは私たちの身の回りや気持ちを語ることが大切だと思いました」(甲西中・肥後華折さん)。甲西中では、部活動のことや「今、はまっていること」を手作りの便せんに書き、励ましの言葉とともに送りました。戸倉中からお礼の手紙が届くと、「あっ、本当に読んだんだ」(甲西中・木原彩さん)と少し照れくさそうにしながらも、「早く、戸倉中のみんなに会いに行きたい」と目を輝かせました。