1歳半頃の宇野昌磨さん
宇野 昌磨(うの しょうま)
1997年愛知県生まれ。5歳でスケートを始め、2009年に全日本ノービス選手権優勝。14〜15年シーズンには世界ジュニア選手権優勝。翌シーズンにシニアに移行すると、GPファイナル3位に入り、ISU公認大会で史上初の4回転フリップ成功でギネス記録に。18年平昌オリンピックで銀メダルを獲得した。
オリンピックや数々の世界的大会でメダルを獲得し、大活躍中のフィギュアスケーター・宇野昌磨さん。競技を始めたきっかけは本紙にも登場した浅田真央さんとの出会いだったそうです。子どもの頃のご両親とのエピソードや、「夢や目標を実現するための今の過ごし方」などについて語ってくれました。
――フィギュアスケートを始めたきっかけは?
5歳の時、名古屋市の大須スケートリンクの教室に通い始めました。そこで練習していた浅田真央さんをよく追いかけまわしていましたが、よく考えたら練習の邪魔をしていた、と後で気がつきました(笑)。
教室では、基礎が身につくと、フィギュア、スピード、アイスホッケーのいずれかの競技に分かれます。真央さんの「一緒にやろうよ」の一言でフィギュアに決めました。
――練習熱心なことで知られていますね。
僕は努力家ではないです。名古屋弁にだらしないという意味の「だだくさ」という言葉があるのですが、まさにだだくさ者です(笑)。
幼い頃はとにかく人目のないところで練習をさぼろうと考えていました。でも、当時、コーチ役の母にはすぐにばれてしまうんです。ばれて叱られる、という経験を繰り返すうちに、「ちゃんと練習すればおこられない」ということに気が付いて。それからは「僕は、かくしごとやうそをつくことはできない人間なんだ」と自覚して、練習に打ち込むようになりました。
――安定した成績を残せるのは練習の成果ですか?
そもそも「練習でできないことは試合でもできない」と考えています。練習での出来が100だとしたら、試合では70くらいが表れる。まれに120の力が発揮されることもありますが、それはあくまで偶然でもう一度同じことをやれと言われても難しい。シーズンを通して安定した結果を残すため、70%の力でも優勝争いができる実力をつけるべく練習しています。
――スランプの時期は、どう克服しましたか?
ジュニア時代に「トリプルアクセル」が跳べず、なかなか思うような結果を残せない時期がありました。そんな時、先輩の無良崇人選手から、「先に4回転トゥーループを練習してみたら」とアドバイスされました。4回転はトリプルアクセルを習得してからとりくむ技だと決めつけていましたが、試してみると、意外にもすぐに跳ぶことができたんです。そして半年後、何気なくトリプルアクセルに挑戦すると、苦戦していたのがうそのように跳べるようになっていました。意識が「やらされている」から「やりたい」へと変わり、ジャンプ練習を楽しんでいるうちに苦手を克服できました。
――子どもたちにメッセージをお願いします。
僕は「夢」を掲げるより、常に目の前の「目標」を意識するようにしています。無理に遠い「夢」を探さなくても「これがやりたい」ということがあれば目標を立てることで自然と近づいていけます。
たとえば、「オリンピックの金メダル」は選手として成し遂げたいことのひとつ。ならば、そのために今、何をするべきかを考えます。オリンピックで勝つには、直前の試合で結果を残す必要がある。その試合に向けた課題は何か。それを解決するには今日、どんな練習が必要か、と逆算しながら、目標を一つひとつ達成していくのです。
みなさんも、「目標」を意識してみてください。重要なのは、自分が少し頑張れば達成できそうな内容にすることです。