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今はまだ物語の途中にいる成功するイメージを大切に
桐生祥秀 さん

全国大会で入賞して表彰台に登る中学3年生の桐生選手

桐生祥秀(きりゅう よしひで)
1995年滋賀県生まれ。京都・洛南高時代の2013年、当時日本歴代2位の10秒01をマーク。男子4×100mリレーでは16年リオ五輪で銀、17年ロンドン世界陸上で銅。17年、日本人で初めて10秒を切る9秒98の日本記録を樹立した。東洋大を卒業した昨季から日本生命と契約し、プロ選手として活動する。

 2017年、陸上100メートル走で、日本人選手として初の9秒台となる9秒98を記録した桐生祥秀選手。意外にも小学生の頃はサッカー少年だったそうです。陸上を始めたきっかけや、競技でなかなか良い結果が出ない時の対処法など、ご自身の経験を踏まえて語ってくれました。

――桐生さんはどんなお子さんだったのですか?

 とにかく外遊びが好きな子どもでした。休日のたび、父と4歳上の兄と近くの公園で朝から晩まで野球やサッカーをしていました。
 小学生になると、兄とその友人が遊び相手になりました。体力的にも大きな差があったはずですが、サッカーやドッジボールをする時も「手加減しないで」と自分から頼んでいたくらい負けん気が強かったです。入学前は、アトピーや喘息を患うなど、体の強い子どもではなかったようですが、活発に遊ぶうち、気づいた時には治っていました。

――小学校時代はサッカー少年だったそうですね。

 地元のチームに入っていた兄と遊びたい一心で練習について行ったのがきっかけです。両親には「団体競技をすることで仲間の大切さを学んでもらいたい」との思いもあったようです。地元・滋賀県彦根市選抜にも選ばれましたが、「団体競技は自分には合わない」との理由から、中学校からは陸上を始めました。後に聞いた話では、「祥秀は気がやさしいからボールを取られてしまう。このままでは個性が生きない」と父も感じていたそうです。

――高校は京都府の洛南高校に進学しました。

 電車で片道1時間半ほどの道のりでしたが、陸上部顧問の先生のすすめで自宅通学しました。3年間、母は毎朝4時半に起きて弁当を作ってくれました。最寄り駅まで距離があったので、朝は父が、帰りは母が駅まで車で送り迎えしてくれました。「今日はどんな練習したの?」。15分程度の車内でのたわいもない会話が、振り返ってみると大切な時間だったなと思います。

――家族とは今でも仲が良いそうですね。

 家族全員参加のLINEグループを作って、近況を報告し合うようにしています。特に兄とは頻繁に連絡を取り合っています。兄も中学から大学まで陸上部に所属していて、中学時代のあだ名はジェット桐生(笑)。僕の中学入学時、校内記録の100メートル走の欄は兄の記録でした。兄の名前を消したくないし、兄弟で名前が並んだらかっこいいと思い、あえて200メートルにエントリーしたのを覚えています。

――夢を叶えるために必要なことはなんでしょうか?

 誰に何を言われても、自分の信じた道を歩むことだと思います。でも、一生懸命打ち込んでも、なかなか良い結果が出ずに落ち込むこともあると思います。僕も初めて日本一になれたのは、高校1年の秋でした。
 勝負に負けたり、良いタイムが出なかったりしてメディアで酷評されることもあります。熱心に取材してくれた記者が、急に自分の前を素通りすることも。そんな時は頭の中でサクセスストーリーを描くんです。
 「今はまだ物語の途中。クライマックスを盛り上げるために一時的に調子が悪いだけ。すぐに記者が取材しなかったことを後悔するくらいの好タイムが出る」 こんな風にイメージして、自分を奮い立たせます。
 2020年の東京オリンピックは、選手としてめざすべき最高の舞台。ファイナリストになれるタイムと強さを手に入れた自分をイメージして、これからも日々の練習にとりくみます。

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