6歳の頃、祖父と対局する井山裕太さん
井山 裕太(いやま ゆうた)
1989年大阪府生まれ。9歳でプロ棋士の養成機関である院生となり12歳でプロ棋士に。2005年、16歳4カ月で阿含・桐山杯で最年少優勝、09年には7大タイトルの一つ「名人」を奪取。16年、17年に、史上初となる七冠同時制覇を二度にわたり成し遂げた。18年2月、将棋で初の永世7冠達成の羽生善治氏と国民栄誉賞を同時受賞。
今号の表紙は、囲碁界における全七タイトル制覇を二度にわたって達成し、2018年2月に国民栄誉賞を受賞した、囲碁棋士の井山裕太さん。
囲碁を始めたきっかけやプロ棋士をめざすまでの周囲とのエピソード、対局にのぞむ上で大切にしていることなどについて語ってくれました。
――井山さんはどんな子どもだったのですか?
好きなものが見つかると、一つのことにのめり込みやすい子どもでした。「あれ買って、これ買って」と、物をねだることはなかったようです。
囲碁を始めたきっかけは、5歳の時、父が買ってきたテレビゲームの囲碁ソフトです。我が家にはゲームといえば、それしかなく、繰り返し遊んでいたのを覚えています。あの時、父が買ってきたのが将棋だったら、違う道を進んでいたのかもしれません(笑)。
――いつ頃からプロを志すようになったのですか?
ゲームだけでは飽き足らず、当時アマチュア六段だった祖父やその囲碁仲間とよく対局していました。今思えば、私の最初の師匠は祖父でした。
そんな様子を見ていた母が、囲碁の視聴者参加番組に応募して、出演したのが6歳の時です。その番組で解説役を務めていた石井邦生先生が、収録終了後、「一局打ってみようか」と声をかけてくださったのです。当時、先生は弟子をとらない方針だったそうですが、これをきっかけに、定期的にご指導いただくようになり、自然とプロをめざすようになっていきました。
――プロになることを決めてからの周囲の反応は?
アマ棋士の祖父は、棋士の世界の厳しさも知っていたので、手放しでは喜べなかったようです。後で聞いた話では、「アマチュアで楽しんでいる方がいいのでは」と、周囲に不安の声を漏らしていたそうです。
その一方で、両親は、「自分のやりたいことはとことんやりなさい」と、私の意思を尊重してくれました。石井先生と私の家はかなり離れていて、通うのが難しい状況でした。そこで、当時、広まり始めていたインターネット対局システムを自宅に備え、自宅からでも指導が受けられる環境を整えてくれました。
――史上初の7冠を達成されましたが、その要因は?
これまでの棋士人生の中で、貫き通してきた信念があります。それは、優勢、劣勢に関わらず、常に「打ちたい手を打つ」ことです。10代の頃は勝敗に一喜一憂することもありましたが、最近は、自分の打ちたい手が打てていれば、負けても、その対局に価値を見出せるようになりました。
私自身、7冠達成した年も年間で10敗しましたが、プロの世界で全ての対局に勝ち続けることは容易ではありません。毎週のように組まれる対局で常に最善をつくすには、敗戦を引きずらず、いかに次に生かすかが重要なのです。
――子どもたちにメッセージをお願いします。
私は今、幼少期に自然と好きになった囲碁を職業にすることができて本当に幸せだと感じます。
小学校に入学前は相撲が好きで、よくテレビで見ていました。当時、まだ漢字も読めないのに、不思議なことに番付表にある力士のしこ名は読めたのです。「好き」という気持ちは、物事を学び、成長する上で、すごく大きな力になります。
どんなきっかけでも構いません。最初から尻込みをするのではなく、少しでも興味を持ったら、まずはやってみる。その姿勢が、「好きなこと」を見つけ、「夢」に出会い、かなえるチャンスを広げてくれるのではないでしょうか。