小学校4年生時に大会で優勝し、07年世界選手権札幌大会のマスコットキャラクターの「ノルッキー」と記念撮影する燉恆I手。
燉 沙羅(たかなし さら)
1996年10月8日、北海道上川町生まれ。2011年、コンチネンタルカップで国際スキー連盟公認国際ジャンプ大会での女子史上最年少優勝。12‐13年シーズンはワールドカップで史上最年少での個人総合優勝。14年、ソチ五輪に出場。15-16年シーズンはワールドカップで3度目の総合優勝。日本体育大学3年生。
今号の表紙は女子スキージャンプの燉恪ケ羅さん。2015‐16シーズンは圧倒的な成績で3度目のW杯総合優勝に輝きました。ジャンプを始めた小学生時代から 世界を転戦するまでの約10年間のお話から「強さの秘密」が見えてきます。
――ジャンプを始めた頃は、どんな子どもでしたか?
小学校2年生の時に始めました。学校が終わると急いでジャンプ台に行っていましたね。なにかに集中すると周囲が目に入らなくなってしまう、そんな子どもで、今もあまり変わっていないのですが(笑)。
――お父さんやお兄さんも選手だったそうですね。
当時は、父がジャンプの選手だったことは知らなかったんです。始めたきっかけは、周りの友だちでした。入団したジャンプ少年団は男子より女子のほうが多くて、誰からともなく「一緒に入ろうよ」と。
ちょうど同じ頃に、日本女子スキージャンプのパイオニアである山田いずみさんをテレビで見て憧れ、世界に通用するレベルを目指そうと決意しました。山田さんは今、全日本チームのコーチです。
――他のことをしていたとしたら、何をしていたと思いますか?
陸上やピアノもやっていましたが、何よりも「好き」だったのがジャンプだったんです。それを超えるものはありませんでした。「好き」という気持ちを周りが支えてくれて、今日まで来ることができたのだと思っています。
――家族以外の方との出会いや支えもあったのでは?
出会った学校の先生は、みなさん熱い方でした(笑)。試合で学校に行けないこともあったのですが、久しぶりに登校すると「お帰り」と言ってくれたり。
高校のインターナショナルスクールの先生は、今でも「英語、教えるよ」と言ってくれます。
――現在は大学生です。
日本体育大学という環境では、みんなスポーツをやっているせいか初めて会った人でも気軽に話せます。いろんな考え方の人がいて、それぞれ競技への向き合い方やプレッシャーへの対処が違っています。それを見ていると、世界各地を転戦しているときの気分の切り替えにも役立ちます。
――切り替えがとても重要なのですね。
今は常にジャンプのことだけを考えているという状態でもなくなりました。具体的には音楽を聞いたり、散歩をするぐらいですが、日常のささいなことも好きなことの支えになっているという実感があります。
順調にいっている中でも、時々、ミスや納得のいかないことはあります。でも、失敗を経験することで、今、自分がやらなければいけないことがはっきりしてきます。それを生かせば成功への準備ができます。
そうすることで、トレーナーやコーチをはじめ、サポートしてくれている人たちに「結果」で恩返しができればと考えています。
――子どもたちへの応援メッセージをお願いします。
まず自分が好きなことを大切に。そして、家族や周りの人たちがサポートしてくれていることを忘れないでください。壁にぶつかったら、他のことに目を向けてみることも必要です。新しい見え方があるかもしれません。もうひとつ、「焦らず、あわてず、諦めず」の精神です。私は、14 15シーズンのW杯遠征中に栄養士さんからいただいたこの言葉を、いつも思い出しています。