小学1年生の時、遠足に参加する福士さん。
福士蒼汰(ふくし そうた)
1993年5月30日、東京都生まれ。2011年、ドラマ「美咲ナンバーワン!」で俳優デビュー。同年ドラマ「仮面ライダーフォーゼ」で初主演を飾り13年「あまちゃん」で種市浩一役を好演。14年には、話題作に多数出演し、第38回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。7月から放送中のドラマ「恋仲」で三浦葵役として主演。
今号は、主演する映画やドラマが次々とヒットし、「取り上げてほしい憧れの人」としても常に人気の高い福士蒼汰さんの登場です。子どもの頃のエピソードやデビュー前と後での気持ちの変化、子どもたちに寄せる思いを語ります。
――福士さんはどんなお子さんだったのですか?
上が姉二人の末っ子なので、あまり自己主張しない子どもだったようです。母から片時も離れたくなくて保育園に行くのがいやでした。朝の送りで保育園に着いた途端、「嫌だぁ!」とダダをこねて、隙をついて走り出しては先生に連れ戻されていた、という記憶があります。
母は、基本的には僕の意思を尊重し、自由にのびのび育ててくれましたが、言うべきことははっきりと言う厳しい面を持っていました。例えば、箸の持ち方や、食後の後片付けなどは特に厳しくしつけられました。だから、今でも異性を見るとき、「箸を正しく使えているか」というところに目がいってしまいます(笑)。
――映画祭でのイタリア語のスピーチは話題になりました。前から語学は得意だったのですか?
中学の三年間担任だった先生の影響で、英語が大の得意科目でした。きっかけは「福士は発音がいい」の一言でした。もう、英語の授業が待ち遠しくて、どんどん教科書を読み進めていました。授業までには完璧な状態にしておきたかったから、わからないことがあれば徹底的に調べていました。今思えば、これがいい予習になっていたんです。それぐらい先生の一言、特にほめ言葉は、子どもにとって大きな影響があると思います。
――高校在学中に俳優としてデビューされました。
中学生の頃まではとにかく人見知りする性質(たち)で、同じ部活の子や仲の良いクラスメイト以外とは話せないほどでした。多くの人の目に触れる芸能活動なんて、想像したこともありませんでした。
高校でダブルダッチという人前で行う縄跳びパフォーマンスに出会い、文化祭でMCをやったり、合唱コンクールで指揮者をやったりするなど、徐々に積極的になっていきました。
その頃、友人と渋谷を歩いていたら、「写真を撮らせて」と雑誌の取材で声をかけられました。掲載された写真を見て、演技のレッスンを受けてみないかと誘ってくれたのが今の事務所です。
最初は、架空のストーリーを、あたかもそれが現実であるかのように演じるという感覚が理解できませんでした。でも次第に、様々な時代背景や場面設定の中で、色々な人物になれるということに面白さを感じるようになっていったんです。いつの間にか、「自分の演技を多くの人に観てもらいたい」という気持ちが芽生えていました。
――子どもたちへのメッセージをお願いします。
「あなたの夢は何?」と聞かれて、確固たる思いを語れる人は少ないのではないでしょうか。自分自身、高校生まで、「これになりたい」という明確な夢を持てずにいました。大学に行けば何か見つかるだろうと考えていたんです。でもある時、思いがけない形でこの業界に足を踏み入れることになりました。だから、今、夢を持てずに悩んでいる子どもには、「すぐに語れる夢がなくても大丈夫だよ」と伝えたいです。まずは、一番好きなことに精一杯とりくんでみる。それがいつか、夢の実現につながったり、形を変えて何かの役に立ったりする時が必ずきます。無駄な努力など決してないのですから。