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人とは比べなくていいよ。自分なりの夢を持とう!
澤 穂希 さん
小学生の頃、 男子の中に混じって サッカーに明け暮れて いた澤選手。
澤 穂希(さわ ほまれ)
1978年9月6日東京都府中市生まれ。6歳のときに兄の影響でサッカーをはじめる。オリンピックを3度、W杯を5度経験し、先のドイツW杯では、キャプテンとして日本を初優勝に導き、得点王とMVPの二冠を達成。

 今年6月から7月にかけて行われた女子W杯で世界一に輝いたなでしこジャパン。彼女たちの「決してあきらめない」姿に、「勇気と希望をもらった」という声が、たくさん編集室に届いています。
 今回は、みなさんから寄せられた声をもとに、なでしこジャパンのキャプテンを務める澤穂希選手に、兵庫県神戸市の王子スタジアムで、お話をうかがってきました。


―どんな子どもだったのですか?


 実は、けっこう人見知りだったんです。それもあって、小さい頃は、兄にくっついてばかりいました。兄や近所の友だちと鬼ごっこをしたり、キャッチボールをしたり、外で身体を動かすのが大好きでした。スポーツでは、水泳も好きで、スイミングスクールに通っていたこともあります。

―サッカーと出会ったきっかけは?

 兄が通っていたサッカースクールに母とよく見学に行っていたのですが、小学1年生のある日、コーチに「蹴ってみる?」と言われ、 やってみると、ボールがゴールに入ったんです。すごくうれしかったのを覚えています。  

―その頃から、将来はサッカー選手になろうと思っていたのですか?


 はい。一番なりたかったのはサッカー選手でした。でも、中学生の時には、「英語の先生になりたい」と言っていたこともあります。英語も好きだったんですよ。
 サッカーの日本代表になることや、W杯やオリンピックに出るというのはずっと夢でしたね。

―夢はかないましたね。夢をかなえるのに大切なことはなんでしょうか?

 自分と人を比べるのではなく、自分なりの目標をつくって、それに向かって、一歩一歩、前に進むこと。そうして、一生懸命進んだ結果、かなうものが夢だと思います。
 女子サッカーの世界でも、体格やパワーで比べると、アメリカやドイツの選手には、かないません。だから、私はその選手たちに負けないように、タイミングのいいジャンプや素早い動きの練習をして、自分の得意なことを伸ばしていきました。
 もうひとつは、チームの仲間や支えてくれる周りの人たちに感謝しながら、お互いを信じて力を合わせることです。
W杯の優勝は、一人でできないことも、みんなで力を合わせれば乗り越えられることを証明してくれたと思っています。

―子どもたちにメッセージをお願いします。

 夢をかなえるまでには、必ず何度か壁にぶつかるでしょう。でも「簡単に夢をあきらめないで」と伝えたいです。「辞めたり、逃げたりできれば楽だろうな」と感じることもあると思います。それでも、壁にぶつかったからこそ気づくこともある……。そう考えて、
あきらめずにチャレンジを続けてもらいたいです。
 苦しいときは、自分が本当に心を許せる家族や友人などに相談してください。自分の中に悩みをため込んでも、良いことは一つもありません。相談することで、いろいろな人のアドバイスを聞くこともできるし、そこから解決策が見えてくることもあります。


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