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「将来の夢」の欄に書いたことを、いつまでも忘れずにいてほしい。
石原さとみさん (女優)
5〜6歳の頃。「幼稚園の年長さんのときの先生が大好きで、ずっとくっついていました」
石原さとみ
1986年12月24日、東京都生まれ。第27回ホリプロタレントスカウトキャラバン「ピュアガール2002」でグランプリを受賞。映画、ドラマに多数出演。2005年からニッポン放送で「石原さとみSAY TO ME!」のラジオパーソナリティも務める。10月3日〜25日、東京都品川区の天王洲 銀河劇場舞台「組曲虐殺」に出演予定。兵庫、山形公演あり。

子ども応援便り編集室に寄せられた読者の声で、「次号に取り上げて欲しい憧れの人」として人気が高かった石原さとみさん。子どもの頃の思い出や、女優をめざすきっかけになったエピソードなどをうかがいました。


――石原さんはどんなお子さんだったのですか?

 とにかく習い事をたくさんしていました。お琴とピアノは母に勧められて6歳で始め、その後、クラシックバレエ、ヒップホップダンスは自分からお願いして習わせてもらいました。他にも、楽器や球技など、とにかく好奇心旺盛な女の子でした。やりたいことは何でもやらせてくれました。

――それでは、遊ぶ時間がなかったのでは?

 学校の外で遊びまわる時間はなくても、友達とは交換ノートをしていましたし、教室では好きなアーティストやマンガの話でいつも盛り上がっていました。マンガに影響されて、「あんな恋がしたいよねえ!」とか。


――友だちがたくさんいたようですね。

 小学校の5、6年生時の担任の先生の影響が大きいです。若くて愛のある先生でした。愛があるゆえにすごく厳しいところもありました。友達の悪口を言ったり、無視をしたりするような生徒にはすごく厳しかった。だから、私のクラスではいじめが一切ありませんでした。

――女優になりたいと思ったのはいつ頃ですか?

 実は、小学校の卒業文集には、将来の夢の欄に「ラジオパーソナリティ」と書いているんです。母がラジオが好きで、車の中でもよく聞いていました。6年生の時に、テレビドラマで藤原紀香さんがラジオパーソナリティの役をやっているのを見て、「女優になると、ラジオパーソナリティもできるんだ!」と思ったのです。今思えば完全に勘違いなんですけどね(笑)。
 中学生になって映画もよく観るようになって、だんだん女優という職業に興味を持つようになりました。

――ホリプロタレントスカウトキャラバンでグランプリを受賞しました。

 母に「女優になりたい」と打ち明けたら、「これで落ちたら諦めるのよ」と、出場を後押ししてくれました。私も自信はなかったですし、母も受賞できるとは思っていなかったみたい。諦めさせるための記念出場だったはずが、受かってしまった。

――女優として、また女性としても影響を受けた方がいるそうですね。

 凛として聡明な雰囲気が魅力的な、吉永小百合さんです。私の芸名の「さとみ」は、「聡明で美しい女性でありたい」という思いから当時のチーフマネージャーに付けていただいたものです。4年前に初共演させていただいた際に、「朝ドラ観ているわよ」と声をかけていただいたことがすごく嬉しくて、何よりも自信になりました。

――子どもたちにメッセージをお願いします。

 私は今、ニッポン放送でラジオパーソナリティをしています。小学生の頃に描いた夢は、女優という職業を入口としてかなえることができました。だから皆さんも、色んな夢を持って下さい。その夢は、持ち続けてさえいれば、形を変えて実現したり、もっともっと大きな夢に出会うチャンスに繋がるかもしれないから。これから先、色んな迷いもあるかも知れないけど、子どもの頃、「将来の夢」の欄に書いたことを、いつまでも忘れずにいてほしいなと思います。


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