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「今季から練習拠点を名古屋に戻し、ロシア人のタチアナ・タラソワコーチに指導を受けながらさらなる飛躍を目指す。」 |
浅田真央
1990年9月25日生まれ。愛知県名古屋市出身。中京大学附属中京高等学校スケート部所属。今年3月の世界フィギュアスケート選手権で初優勝し、世界女王となる。 |
「子ども応援便り」2007年冬号に寄せられた読者の声で「次号で取り上げてほしい憧れの人」として
人気が高かった浅田真央さん。今年の3月にスウェーデンで開催された世界フィギュアスケート選手権では初優勝し、
見事、世界女王となりました。そんな真央さんに、フィギュアスケートのこと、そして次の目標についてうかがいました。
――フィギュアスケートを始めたきっかけは?
5歳の時に友だちに誘われて、姉の舞も一緒に滑ったのが生まれて初めてスケート靴をはいた時です。それからは、母が毎日毎日リンクに連れていってくれて。スケート以外にもバレエ、体操、ダンスなども並行してやっていた時期もありましたが、次第にスケートが大好きになりました。
――フィギュアスケートを頑張りたいと心に決めたのはいつ頃ですか?
私が8歳の時、長野オリンピックでタラ・リピンスキー選手(米国)が14歳で金メダルをとったのを見ていたんです。ループのトリプル‐トリプル(連続3回転ジャンプ)を跳んで優勝したのを今でもはっきり覚えています。あんまりすごいから、『私も、あんなふうになりたい』と思いました。この時初めて、いつかオリンピックに出たいと舞と話したのを覚えています。
――真央さんにとって、姉の舞さんはどんな存在なのでしょう。
昔は、お互い負けたくなくてライバル心もありましたけど、喧嘩はほとんどしたことがないです。今も練習はずっと一緒だし、親友のような存在。私の家族はスケートを通じて母も父も含め仲間≠フような関係。家族みんなで助け合ってチーム浅田≠ニいった感じです。
――世界選手権で優勝した今、次の目標は何でしょうか?
今年の冬にある全日本選手権の三連覇と、バンクーバーオリンピックでの金メダルです。みんな私を追い越そうと思っているかもしれませんが、私もみんなを追い越すつもりでやります。
――夢を実現するために、どのような努力をしているのですか。
一日一日を無駄にせず、スケートに集中して、毎日コンスタントに練習することです。昨年までアメリカで練習していましたが、大好きな日本を離れての練習は辛かったです。でもアメリカの合宿先の環境は日本と比べものにならないくらい充実していたので、日本を離れて頑張りました。私は日本が大好きだし、愛犬のエアロ(トイ・プードル)とも離れ離れになる
のはすごく寂しかった。
でも、バンクーバーオリンピックでは金メダルがほしい。そのためには練習が一番大事だと思っています。成績は自分がしてきたことの結果ですし、すべて自分の責任だからこそ、悔いを残さないようにしたいです。
――これから夢を追いかける子どもたちに、応援メッセージをお願いします。
フィギュアスケートを、小さい頃から10年以上努力しながら続けてきたことが、今は本当によかったと心から思っています。ひとつのことに打ち込んだ努力は報われると感じています。結果はあとでついてくる。そう信じているからこそ私もフィギュアスケートを頑張ることができています。みなさんも夢や目標があったら、あきらめないで頑張ってほしいです。