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夢がかなったのは、恩師の励ましのおかげ
瀬川晶司さん(プロ棋士)

瀬川晶司
1970年横浜市生まれ。2005年、日本将棋連盟にプロ入りを希望する嘆願書を提出。周囲の協力もあって戦後初めてのプロ編入試験将棋を実現させ、その試験将棋に合格して念願のプロ棋士となる。

昨年の11月にプロ編入試験に合格し、アマチュアからプロ棋士なる夢を実現した瀬川晶司四段。年齢制限により、一度は夢をあきらめかけた瀬川さんを応援し続けた恩師とのエピソードをお聞きしました。


 僕が将棋を始めたのは小学5年生のとき。クラスで将棋が流行り、兄と指していたのでクラスで一番強くなりました。
 そのころの僕は勉強もスポーツも得意ではなく、自信を持てるものが何もなかった。ところが担任だった苅間澤大子(かりまさわひろこ)先生が、「瀬川君は将棋が強い」と褒めてくれたのです。「君は今のままで大丈夫!」と。その瞬間、僕にとって将棋が特別なものになりました。
 その後、プロ棋士になるために必ず入会する必要がある養成機関・奨励会に入会。しかし26歳までに四段になれなければ、プロの道は永遠に閉ざされます。僕は22歳で三段になったのですが、その後勝つことができず、26歳での退会を余儀なくされました。
 あまりに悔しくて、将棋も人生も終わったと落ち込みました。将棋なんか始めなければよかったと何もしない日々を過ごしていたら、子どものころのライバルがアマチュアで日本一になったことがきっかけで、また将棋と向き合うようになりました。プロ、アマの交流戦に出場するようになり、プロ棋士相手に勝率7割をマーク、日本一強いアマチュア棋士となることができたのです。そして周囲の協力もあり、日本将棋連盟にプロ入りの嘆願書を提出した結果、戦後初めてのプロ編入試験を開いてもらえることになりました。
 実は、その大事な初戦で僕は負け、プレッシャーの前に押しつぶされそうになっていました。そんなとき、一枚のハガキが届いたのです。ハガキには「だいじょうぶ、きっとよい道がひらかれます」と見覚えのある字で書かれていました。なんと苅間澤先生からのハガキでした。その言葉に励まされた僕は失いかけていた自信を取り戻し、その後の勝負で勝つことができたのです。
 夢に向かって進むことを教えてくれ、また夢の実現がかかった大事なときに、これ以上にない温かい励ましのハガキをくれた苅間澤先生には、心から感謝しています。

※瀬川さんの「プロ編入試験」をきっかけに、日本将棋連盟は2006年5月からプロ編入試験制度を導入しました。

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