諏訪 清二(すわ せいじ)
1960年、兵庫県明石市生まれ。防災教育学会会長、防災教育実践交流会座長。82年4月に兵庫県立高校の英語教員となり、35年間勤務。舞子高校が2002年に全国で初めて設置した環境防災科の立ち上げに携わり、12年間科長を務めた。災害を生き延びる方法にとどまらず、災害ボランティア、災害体験の語り継ぎなど、子どもたちや教職員、防災教育関係者を対象に活動している。中国、ネパール、スリランカ、トルコ、モンゴルなど海外での活動経験も豊富。兵庫県立大学客員教授、神戸学院大学現代社会学部社会防災学科などで非常勤講師も務める。
――2002年、兵庫県立舞子高校が全国で初めて設置した環境防災科の初代科長を務められました。
当時、兵庫県では「行ける学校から行きたい学校へ」と、偏差値に固執しない高校の多様化路線が示されていました。演劇や音楽、スポーツなど、特色ある学校作りが進む中で、阪神淡路大震災の被災地として防災教育を前面に打ち出そうと設置されたのが環境防災科でした。
「もともと防災教育にとりくんでいたのですか」とよく聞かれますが、私自身は当時は全くの素人でした。防災教育を専門に行う学科は全国に先例がなく、教育課程の編成は困難を極めました。大学の研究者や行政の防災セクションを訪ねて助言を受けたり、数多くの関連書籍を読んだりして、何とかカリキュラムを作り上げました。手探りで駆け抜けた12年間でしたが、今では多くの教え子が防災に関わる分野で活躍しています。
――現在は全国で防災教育を普及されています。
定年まで3年ほどありましたが、「残りの人生を使って全国に防災教育を担う人材を育てたい」と16年度に早期退職しました。複数の大学で講義を担当するほか、防災学習アドバイザーとして全国の学校で出張授業などを実施しています。学校現場にうかがって感じるのは、「総合的な学習の時間を何時間か確保しなければ」「従来の活動を再編しなければ」と考える教職員が多いことです。そんな方には、普段の授業に少しだけ防災の要素を足す「プチカリマネ」をおすすめします。
例えば、災害時の持ち出し袋の中身を考えさせる授業。あらかじめラジオ、タオルなどの品名と金額を記載したカードを作っておき、予算一万円で入れる物を考えさせ必要だと思う物の金額を足し算したり、予算を超えて引き算をしたり。「電池は10個必要だよな」と掛け算をする。日々の教育活動の中に防災教育の視点を取り入れた「防災教育×算数」の授業です。
――どの教科、領域でも教職員のアイデア次第でとりくめそうですね。
このように防災教育と他分野を掛け合わせたとりくみを「防災教育の異種格闘技戦」と呼んでいます。兵庫県内の小学校では、「LGBTQ+と防災教育」をテーマに授業をしました。
「あなたの入っているトイレのすぐ横に僕が入っていたらどう思う?」
災害時に学校が避難所になることを想定して子どもに問いかけます。するとある女子児童は、「嫌や!」と即答(笑)。解決策を募ると、「男子トイレはグラウンドの右端、女子トイレは左端に」と返ってくる。「じゃあ、マツコ・デラックスさんはどっちを使ったらいい?」と聞くと、「真ん中に誰でもトイレを作ったら?おじいちゃんやおばあちゃんも遠くまで歩かなくてもいいしな」と。災害時のトイレ対応を考えると同時に、セクシャリティや多様性理解にも繋がる授業に発展させることができるのです。
――教職員のみなさんにメッセージをお願いします。
「正しい知識を教えるべき」と思い込んでしまうと何もできなくなってしまいます。必要な知識は、運転免許の取得に比べてもよっぽど少ない。「火事があったら逃げる」「地震で倒れないように家具を固定する」といったレベルです。
京都大学防災研究所の矢守克也教授は、防災教育をする際に大切なのは、「子どもたちと一緒に『正解』よりも『成解』を作り上げていくことだ」と言っています。これは防災教育に限らず、他教科を含めた学校教育全般に当てはまる考え方です。
みなさんは、あらかじめ用意した「正解」に子どもたちを誘導していく授業や指導をしてしまってはいないでしょうか。子どもたちと教職員とが互いに学び合い、語り合い、自らの解を探究して「成解」を見つけていく。そんな授業や実践を積み重ねてもらいたいと思います。