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■知識や情報だけでなく
  •  身体知を育むリアルな体験を
  • 政治学者
    姜 尚中(かん・さんじゅん)さん
写真:姜尚中さん

姜 尚中
政治学者・東京大学名誉教授。1950年、熊本県生まれ。79年、早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了。国際基督教大学助教授・准教授、東京大学教授、聖学院大学学長などを経て、現職。100万部超のベストセラー『悩む力』と『続・悩む力』に続き、2014年には『心の力』を刊行。小説作品に、『母―オモニ―』、『心』がある。その他、政治学関連の著書多数。テレビのコメンテーター、新聞・雑誌の評論などでも幅広く活躍。

――子どもの頃はどう過ごされたのでしょうか。

 小学生の頃は、わんぱくでひたすら外で遊びまわっていました。日が落ちるのを恨めしく思ったものです。
 親に「勉強しなさい」と言われたことはありません。母は、むしろ「勉強しすぎると、頭でっかちになり苦労する」と、いい顔をしませんでした。手に職をつけ、独立独歩で生きられるように、と考えていたようです。当時、野球をしていたので、プロを目指してもらいたかったのかもしれません(笑)。

――お母様の影響が大きかったのですね。

 「生きる力」を身に付けてもらったと感謝しています。それは、精神主義的なたくましさではなく、自然のリズムに合わせて生きるというシンプルなことです。
旧暦を意識した生活からも多くを学びました。旧暦では、大潮は何日か、カニの身が最もおいしいのはいつかなどがすぐに分かる。自然の律動と人間の生活とが対応関係になっています。
 また、母はよく「人間は歩く食道」と言っていました。全ての生物は、食べて排出するという循環で生きている。だから、人の身体や精神をつくっているのは食べ物なのだという考えのもと、栄養バランスや季節感など、毎日の食事をとても大切にしていました。

――今は、食べ物で季節感を感じるのも難しいですね。

 野菜や果物が一年中買え、旬のありがたさも感じられません。食べ物に限らず、身体を通じて何かを学ぶ経験自体が非常に少なくなっていると感じます。
 情報化社会が進み、子どもたちは多くの知識を予め情報から得て、いわば「耳年増」「目年増」の状態です。体験していなくても、全て分かっているかのように振る舞ったり、先行きを予想して、挑戦することもなく諦めてしまったりする子どもが増えているように感じます。
 現実は、算数のように常に正解が決まっているわけではありません。一人ひとりに最適解があり、そこへ至るルートも様々です。「知っているつもり」で判断をして、実際に体験する機会を逃すのは、もったいないことだと思います。
 もちろん、情報が溢れる時代にリテラシーは不可欠ですが、どんな知識や情報も、リアルな体験には及びません。たとえば、自転車や水泳など、教室で理論だけを学んでも「泳げる」、「乗れる」ようにはなりません。私は50歳で運転免許を取りましたが、しばらく間があいても運転席に座れば、身体が自然と動く。これがリアルな体験による「身体知」の力です。

――今の子どもたちにどんな教育が必要でしょうか?

 いわば「実物教育」です。田植えをしたり、動物を育てたりという、実物との触れ合いを通じて、現実は非常に複雑で多様であることを身体知として蓄積していく。子どもたちにとって最も大事なことだと思います。
 現実は上手くいかなくて当たり前。小さい頃、私は何度か飼っていたヒヨコを死なせてしまいました。その時に経験した喪失感や「ままならない」感覚は、机上ではなく、実物に触れたからこそ感じたものです。
 多角的な視点も身に付くはずです。勉強が得意でない子が、とても器用に稲刈りをしたりする。何事も一つの尺度だけでは測りきれないのだと分かり、子ども一人ひとりの多様性を認めることにもつながります。

――子どもや保護者へのメッセージをお願いします。

 子どもたちは、これから、多くの出来事や人に出会います。もし今、「私なんて」と思ったとしても、自分に見切りを付けず、新たな出会いに向けて生きてもらいたい。「未知なるものが君を待っています」。
 保護者の方々には、自戒の意も込めて、作家・坂口安吾『不良少年とキリスト』からこの言葉を送ります。「親がなくとも、子が育つ。ウソです。親があっても、子が育つんだ」。現代は、親が子どもに過剰な関心を持つあまり、過干渉になりがちです。子どものためのように見えて、「学びの機会を奪う」ことになりかねません。手出しをぐっとこらえ、陰から見守るのも時には親の務めではないでしょうか。

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