尾木直樹 1947年滋賀県生まれ。法政大学キャリアデザイン学部教授。教育評論家、臨床教育研究所「虹」所長。最近では、フジテレビ「ホンマでっか!?TV」などのバラエティ番組で「尾木ママ」という愛称で親しまれている。 |
――小さい頃から国語が得意だったそうですね。
幼児の頃から母親が良質の本を与えてくれたおかげで、自然に読書が好きになりました。学校図書館の本は、「辞書以外は全部読んだ」と言えるぐらい(笑)。
詩を書くのも好きでした。母が手作りの表紙をつけてくれて詩集にしたりね。
当時、僕が通っていた小学校は国語教育の研究指定校だったので、教育関係者がよく授業の視察に来ていました。国語の先生から、「研究授業でも手を挙げて、発表してね」と頼まれるんです。発言すると、後でこっそり先生が「助かったよ」と声をかけてくれるのが、子どもながらにすごくうれしかったのを覚えていますね。
――そして、大きくなって国語の教師になります。
大学は、教育学部に進学したものの、実は教師にはなりたくなかったのです。
ところが教育実習をやってみると、これがすごく楽しくて。実習先の校長先生も「教え方がうまい! 君は教師に向いてるよ」とほめてくれて。そして、教師だった母親の「直樹は辛い経験をいっぱいしているから、必ずいい先生になれるよ」と言う言葉が決め手になりました。
――天職でしたね。尾木先生の「学級通信」は伝説になっているほどです。
教員時代は、常に子どもたちとのコミュニケーションを第一に考えました。もっと子どもたちの魅力を発見したら、それを本人にも、ほかの子どもたちにも知らしめるべきだと思ったんです。そうすれば、よりお互いの理解を深めて、好きになることができるだろうと思ったんです。そんなことを考えながら、多いときは年間333号も発行したんですよ。夏休み号やお正月号にくわえて、一日に2号発行することもありました。朝刊と夕刊ですね(笑)。
保護者の文集も年2回ほど出していました。「回る落書き帳」という保護者が書きこめるノートを常に3冊くらい回しておくのです。ノートには、自分の子どもの誕生記が書いてあったり、今の思いやメッセージが書いてあったり。もちろん、僕も書きこむと同時に、その中の面白い話を「学級通信」にも載せるんです。そうしているうちに、自然にクラスコミュニティーができあがっていました。夏休みや春休みには合宿をしたりしてね。
――ご自身の子育て体験では、元祖「イクメン」とも語っておられます(笑)。
そうよ(笑)。保育園の送り迎えの大変さも知っています。中でも一番困ったのは子どもが病気にかかった時。妻と僕のどちらが仕事を休むかと言い争いになったこともあります。僕が休むと他の教職員に負担がかかってしまうから、気が引けてなかなか休めなかったんです。
ところが、ある時、父母会でそのことを話したら、クラスの保護者のみなさんが「輪番で子どもを見てあげるから連れていらっしゃい」と言ってくださって。保護者のみなさんの支援なくして、子育てはできなかったと思います。
――何事もコミュニケーションですね。読者へのメッセージをお願いします。
今は、被災地の教職員のみなさんの「頑張りすぎ」がとても心配です。教職員自身も家族を失ったり、家を流されたりしているのですから。
辛かったら泣いてもいいのですよ。大人だからと我慢せずに身近な人に愚痴や弱音をはいていいのです。「同じ気持ちなんだ」とか「分かってくれているんだ」と思うだけで、うんと気持ちが楽になり、元気になりますよ。