アグネス・チャン 1972年「ひなげしの花」で日本歌手デビュー。上智大学国際学部を経て、カナダのトロ ント大学を卒業。89年、米国スタンフォード大学教育学部博士課程に留学。94年教育学 博士号取得。98年、日本ユニセフ協会大使に就任。現在は、芸能活動ばかりでなく、エ ッセイスト、目白大学教授(客員)、日本ユニセフ大使など、幅広く活躍している。 |
――どんな幼少時代を過ごされたのですか?
目立たない子でしたよ。6人兄弟の4番目ということもあって、華やかな姉たちに比べ、内気で学校でもおとなしかったです。
――今のパワフルな姿からは想像できません(笑)。
変わるきっかけは、ふたりの学校の先生です。
何事にも消極的だった私は、小学校6年生の時、最も習熟度の低いクラスになりました。いわゆる"落ちこぼれ"です。でも、そのクラスの担任の先生は、いつも私に「可愛い、可愛い」と言ってくれるのです。後で分かったことですが、実はクラス全員に言っていた
のですが(笑)。存在そのものを認められた子どもたちは、安心して力を発揮できるようになりますよね。私ももっと認められたくて、一生懸命勉強し、成績もあがっていきました。
――もうひとりは?
中学校のフォークソングクラブの顧問の先生です。「あこがれの先生のそばにいたい」という一心で、引っ込み思案だった私が、クラブ入部のために歌のオーディションを受けたのです。そこで「おー、天使の声だ」と言われ、その後、歌手になるのですから、私ってつくづく褒め言葉に弱い(笑)。
今思い出しても、すごく素直な気持ちに戻れます。子どもにとって先生ってそんな存在ですよね。
――今は、現場の教職員にとって悩み深い時代です。
先生は人生に影響を与える大きな存在です。だから、いつも明るく元気でいてもらいたいものです。
私は「先生の日」というのを創ってはどうかと考えています。「母の日」や「父の日」があるように、自分の恩師に感謝の言葉を贈る日。私たち大人も、振り返ってみて、感謝したい先生がいますよね。今の先生たちも保護者も、だれかに教わって大きくなったのだから、だれにでも感謝したい先生がいるはずです。
――面白いその発想はどこから来るのですか?
ユニセフの活動を通して、学校や先生のありがたさを実感しているからです。
私たちは、ティモールなど、戦争後の町や村で、「バック・トゥ・スクール・キャンペーン」を行っています。家をなくし、大人はみな絶望的になり、なかなか社会復帰できない。そんな中、先生がひとり立ち上がると社会は変わっていきます。焼け跡の一本の木の下で、先生が「授業を始めます」と呼びかけると、親が張り切ります。自分が立ち直ってなんとか子どもを送り出さなきゃ、と。学校がはじまると、人や情報が集まり、そこで水や食糧を配ったり、予防注射をしたり。そうして、だんだん街が元気になってゆきます。だから、私たちが村に入って最初にすることは、先生になれる人を探すことです。
「建物はなくても、先生がいれば学校はできる」。
これが私の持論です。
――保護者をはじめ社会の姿勢も問われますね。
何といっても、「教育の基本は家庭」です。学校や先生は子育てを手伝ってくれる貴重なパートナーであるはず。保護者が先生にプレッシャーをかけたり、学校の責任を追及したりするというあり方は、根本的に間違っていると思います。国や社会全体で、未来を担う子どもたちを育てていけるよう、周りの大人がしっかり協力していくことが大切ですよね。
――子育てに悩んだり迷ったりしている保護者の方にアドバイスをお願いします。
まずは、お子さんのいいところを褒めること。悪いことをしたら、叱るのは親として当然ですが、叱られてばかりだと、子どもは存在自体を否定されているように感じてしまいます。叱る時も「今、あなたがやっていることには賛成できないけど、あなたのことは大好きよ」ということが伝わるようにしましょう。その場で理解できなくても、いざという時、きっとそれが支えとなります。