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■中学進学の失敗で引きこもりに
  • 浪人の1年間が、冒険家としての原点
  • 冒険家・プロスキーヤー・三浦雄一郎さん
三浦雄一郎
1932年生まれ。全国に1万人いる広域通信制高校・クラーク記念国際高等学校長。2008年には自ら達成した70歳エベレスト登頂記録を5年更新しようと、新たな挑戦に向けて準備中

――三浦さんはどんな少年時代を過ごされたのでしょうか。


 実は、小学6年生のときに、結核性の病気で入院生活を送り、ほとんど授業に出られなかったんですよ。
 当時、岩手県に住んでいたのですが、県内有数の進学校を受験したら落第してしまってね。僕はくよくよと考え、今でいう引きこもりになりました。家の外には出ず、押し入れに電気スタンドを持ち込んでひとり悶々として本を読みました。僕以外の全員が合格したのでショックが大きかったのです。

――そんな三浦さんが、どのようにして冒険家になったのですか?

 自然が僕の回復を手伝ってくれました。翌年の受験まで学校に行く必要がなかったので、木に登ったり、カエルやヘビを捕まえたり、イカダを作って池に浮かべて漕いだりと、人生で一番輝かしい時間を過ごすことができました。
 僕を外にひっぱり出してくれたのは田舎の自然の優しさ、懐の深さ。空を飛ぶ鳥、地を這う虫、周囲にうごめくすべての動物が僕を癒やしてくれたのです。
 落第のおかげで得た1年間の少年浪人暮らしが、大自然の中で自由を楽しむという僕の原点です。それこそ泥まみれ、すり傷だらけの足で、無我夢中で遊びましたね。大人や親たちが、なんにもならないと思っている遊び、スポーツ、自然との関わりこそ、本物の人間をつくる重要な基礎になると僕は思います。

――浪人後は、見事に付属中学校に入学されました。

 最初はもう大変でしたね。田舎のお山の大将が、エリート集団の中に入ってしまったのですから。周りの友だちが簡単に解ける問題が自分には解けない。勉強についていけないんです。劣等感が日に日に強くなって。でも、そんな僕を、学校の先生は見捨てませんでした。「勉強は分からないと面白くないけど、分かるようになれば、ぜったい面白くなるから」と、放課後に補習をし、僕が納得するまで勉強につきあってくれました。
 おかげで、問題が解けると、どんどん勉強が面白くなって、入学時は下から1、2番だった成績が、卒業する頃にはトップクラスになっていました。

――三浦さんは、クラーク記念国際高等学校の校長先生でもあります。生徒の皆さんには、どのように語りかけているのでしょうか。

 基本的には「ボーイズ・ビー・アンビシャス」ですが、夢を持つといっても、自分の目標を持てる子どもがいる一方で、目標や夢を持てない子どももたくさんいます。そんな子どもには、「まずは、目の前の目標を少しずつクリアして、そのうち大きな夢を持つようになろう。そのためには、目の前のことに全力を尽くすことが大切なんだ」と教えています。

――学校の先生たちは、生徒とどう接するべきだと思いますか?

 例えば、他の勉強はできないけど、数学が得意な生徒がいるとします。そういう子は、いいところを褒めて伸ばしてあげるように努めてほしいですね。また、得意なものがない生徒には、なにかひとつ、突破口というか、長所を見つけてあげる努力をする。
 子どもは必ず一人ひとり、他人にはない個性を持っています。「やればできる」と、自分の可能性を信じることを、子どもたちに教えるのが先生、大人の役割だと思います。
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