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特集 今こそ必要「防災教育」

 日本各地で大雨、台風、火山噴火などの自然災害が多発し、「いかに自分の身を守るか」を学ぶ、防災教育が重要性を増しています。
 今回は、それぞれの学校や家庭の実情に合わせて役立てられるよう、災害・防災に関する情報や教育関係者の体験談をまとめました。

1.災害の種類と発生時の備え 自然災害はいつ、どんな状況で起こるか分かりません。災害発生時にあわてず、自分の身を守るためには、風評に惑わされない正しい知識を持つことが必要です。ここでは、日本で起こりうる災害について種類別に解説します。

地震

 地震は地球の表面を覆っているプレートの動きが引き起こす現象です。プレートが毎年少しずつ移動して、ひずみがたまっていき、限界に達すると、亀裂が入ったり大きく動いたりします。地震には大きく分けて2つあります。海と陸のプレート境界で起こる「海溝型地震」と陸のプレート内がずれて起こる「活断層による地震(直下型地震)」です。

自分の身を守る行動を

 震度5以上の地震では、周りの物が落ちたり、家具が倒れたり、動いたりします。震度6を超えるような大きな地震では、人は立っていることができなくなります。
 緊急地震速報が鳴ったり、揺れを感じたりしたら、机の下に潜る、持っているもので後頭部を守るなど、すぐに自分の身を守る行動を取りましょう。

避難のキーワード 落ちてこない場所 倒れてこない場所 移動してこない場所緊急地震速報 地震発生後、強い揺れがくる数秒から数十秒前に気象庁から出される警報。テレビ、ラジオ、携帯電話などから情報が流れます。震源が近い場合、緊急地震速報より揺れの方が早い場合があります。

津波

 津波は、震源が海底の地震(海溝型地震)などの際に、海底が盛り上がったり、沈んだりして、海面全体が持ち上がり、激しい流れになって陸上に到達する現象です。数十センチメートルの津波でも、人を押し流すほどの力があります。

津波避難場所を確認

 津波の被害が想定される地域では、地域の津波避難場所を確認しておくことも大切です。地震が起こったら、できるだけ早く、少しでも、高く、海や川から遠いところに避難しましょう。

避難のキーワード 田立に、少しでも高く、海や川から遠いところへ

風水害

 風水害は、大雨や強風などが原因で起こる、洪水やがけ崩れなどの土砂災害、竜巻、落雷などの災害です。大雨が降る、雪が溶け出すなどにより、河川に多量の水が流れ込むと、はんらんしたり、堤防が決壊したりして洪水が発生します。また、地盤がゆるむと、斜面が急激に崩れ落ちる崖崩れや、ゆっくりと滑り落ちる地すべり、水と混じりあった土や石が襲ってくる土石流などの土砂災害が起こります。

雷や竜巻にも注意

 急な大雨などの際には、同時に雷が発生することもあり、落雷にも注意が必要です。
 風害には、突風や竜巻のほか、近年では、ビルなどの高い建物の影響で強風や突風が起こるビル風の問題も出ています。

あらかじめ危険を察知

 風水害の被害に遭わないためには、あらかじめ危険を察知し、安全な場所に避難することが重要です。屋外にいる時は、川や斜面などから離れたり、頑丈な建物の中に入ったりしましょう。

火山災害

 火山の噴火は地下深部で発生したマグマが地表に噴出する現象です。溶岩流、火山灰、火山ガスなどの噴出物による直接的被害だけでなく、噴火による地震、地殻変動などの二次被害も起こります。

噴火警報などを活用

 火山が噴火したら、すぐに安全な建物やシェルターの中に避難しましょう。噴火警報などを活用して、噴火しそうな火山には近づかないことも大切です。

雪害

 雪崩に巻き込まれたり、除雪中に屋根から転落したりするなどの被害が起こります。豪雪地帯でなくても、見通しが悪くなっていたり、路面が凍結していたりすることによる交通事故や転倒事故などが起こることもあります。

気象情報を活用

 気象情報を活用して、積雪や凍結を予想し、歩き方や車の動きに注意しましょう。山や斜面など、雪崩が発生しやすい場所に近づかないことも大切です。

2.これだけは知っておこう!防災知識

その1 積乱雲の発生は急な天候変化のサイン

発達した積乱雲は、雷や竜巻、局地的大雨など急な天候変化を引き起こすことがあります。

真っ黒い雲が近づいてきた 雷の音が聞こえてきた 急に冷たい風が吹いてきた 「急な大雨」「雷」「竜巻」が発生する可能性大! その2 気象庁や自治体が出す情報をチェックして避難に備える!

図表1:気象庁が出す警報・注意報の種類

図表2:自治体が出す避難情報

その3 地震発生時には最優先で自らの命を守る行動を! 室内にいる時:頭を保護し、丈夫な机の下など安全な場所に避難。あわてて外に飛び出したり、無理に火を消そうとしたりしない。沿岸部・川沿いにいる時:強い揺れ、弱くてもゆっくりとした長い揺れ、揺れがなくても津波警報を見聞きしたりしたら、すぐに高台や避難ビルなど安全な場所へ避難する。 屋外にいる時:ブロック塀などの倒壊、看板や割れたガラスの落下に注意する。耐震化されているなど、丈夫なビルのそばであれば、ビルの中に避難する。 その4 災害時の連絡方法 災害用伝言ダイヤル「171」

 災害発生直後は、電話がつながりにくくなります。災害用伝言ダイヤル「171」は、安否情報を録音したり、聞いたりできる、被災地域で提供されるサービスです。

注意点:利用には、被災地域の電話番号の入力が必要です。携帯電話の番号でも利用できます。録音できるのは1回30秒です。出典:一般社団法人社会応援ネットワーク発行「防災手帳」
過去の大災害を経験した教職員からのメッセージ!
新潟県中越地震当時、山古志村立山古志小学校に勤務 長岡市立 宮内小学校教諭
 相澤勇弥 先生

 新潟県中越地震の発生後は、「安否確認」「避難所での授業」「受け入れ先の学校の決定」に2週間強の時間が必要でした。受け入れ先に関しては、数校に分散することも検討されましたが、校長の「子どもたち全員を一緒に」という方針のもと、長岡市内の小学校に決まりました。
 避難所から仮設住宅に移り、生活が落ち着いてくると、「自宅に置いてきてしまったペットが心配」「早く山古志村に戻りたい」といった心の問題が顕在化。我慢と不自由を強いられるなかで、保護者や教職員に話せないことも多かったようですが、市教委から派遣されたカウンセラーが、双方のつなぎ役を担ってくれました。教職員とカウンセラーとで定期的に「カンファレンス」を開き、子どもが不安に感じていることを共有し、今は落ち込んでいる子どもの心も回復していくのだと信じられるようになりました。
 大規模災害が起きると、多くの方からの支援をいただきます。例えば、「コカリナを一緒に演奏しよう」「ブーメランを一緒に飛ばそう」と学校を訪ねてくださった方もいます。子どもたちにとっては楽しいイベントではあるものの、「ただ楽しむだけでいいのか」との思いもありました。そこで、「地震発生→避難所→受け入れ先の小学校」の流れを時系列でとらえ、エピソードを持ち寄って作った劇を受け入れ先の学校の子どもと教職員に見てもらうという授業を行うことにしました。「なぜ支援してくれるのか」「どれだけの人に支えられているか」。それを考えることで、支援を、より子どもの心に届けることができるのだと思います。

東日本大震災当時、釜石市立釜石東中学校に勤務 山田町立 豊間根中学校教諭 平野美代子 先生

 津波の危険が迫る中、無我夢中で避難場所にたどり着き、いざ生徒を保護者へ引き渡す時になって、筆記具も紙も持っていないことに気がつきました。記録ができずに、記憶に頼りましたが不安でした。避難訓練で、まず出席簿を持つ意味を初めて実感しました。
 しばらくは、携帯電話もつながりませんでした。テレビやラジオで情報を流してもらう一方で、段ボールに「釜石東中の教員です。生徒に伝えたいことがあります」と書き、手分けして避難所や仮設の役所を回りました。
 学校再開後は、環境への適応が早い子どもたちから学ぶこともありました。校舎も失い、十分な設備も道具もない中、日常のちょっとした変化に喜びを見出す。コッペパンと牛乳だけの給食に、ゆで卵がつくと歓声が上がるのです。「学校はこうあるべき」という考えは、かえって子どもたちを窮屈にするのだと気づかされました。
 震災後は、卒業生もよく学校を訪ねて来ました。そんな時、「ごめんね、今忙しいから」と言わないよう心掛けました。学校は常に子どもたちが「不安」を吐き出せる場にしておきたかった。
 学校に保護者から不満や愚痴の電話も押し寄せました。最初は、「こちらの事情も知らないで」と反発も感じましたが、そこで「お父さんも大変な中、頑張っていますね」と一言かけると、電話の向こう側の雰囲気が変わるのです。大変な時ほど子どもたちの、保護者の、地域のよりどころになる。それが「学校」なのだと痛感しました。日頃からの対話や交流をより充実させていきたいと強く思います。

阪神・淡路大震災当時、芦屋市立潮見小学校に勤務 芦屋市立潮見小学校教諭 瀧ノ内秀都 先生

 学校を再開できたのは地震発生後、2週間が経過した頃です。登校してきた児童数は震災前の3分の1程度でしたが、約2カ月後には、ほぼ元通りの顔ぶれで学期末を迎えることができました。
 「震災後も楽しく学校に通えたのは、先生がいつもの先生でいてくれたから」
 受け持っていた子どもの言葉です。当たり前のことが、当たり前に存在している。そのありがたさを実感しました。
 子どもと接するうえで特に大事にしていたのは、しっかりと話を「聴く」ことでした。震災後しばらくすると、授業中に突然、立ち上がって地震の話を始める子どもが出てきたのです。「いいよ、続けて」と声をかけました。こちらから地震の話をすると泣き出す子もいる時期でしたが、話しているうちに、不安な気持ちが解消されていくようでした。「心のケア」という言葉が使われる以前のことでしたが、知らず知らずにそれを行っていたのでしょう。
 授業では、震災前から行っていた「3分間100字作文」をあえて続けました。テーマを決めない自由作文です。5カ月経ったころ、ひとりの子が「地震の時は本当に怖かった」と書いたのです。それがきっかけとなり、みんなが地震について発信することができるようになりました。こうした声を「学級通信」にまとめ、子ども、教職員、保護者で共有しました。
 震災後の厳しい状況の中でも、話したいときは話し、泣きたいときは泣き、笑いたいときは笑い、休みたいときは休める。おとなと子どもが一緒になって、そんな環境を作ることが大事だと思います。

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