緊張した表情で幼稚園の入学式に参加する石川さん。
石川 祐希(いしかわゆうき)
1995年12月11日、愛知県岡崎市生まれ。2010年、愛知県選抜で都道府県対抗中学バレーボール大会準優勝。星城高校では、インターハイ、国体、春高バレーの3冠を12年から2年連続で達成。中央大学に進学した14年には史上最年少で全日本デビュー。20年東京五輪に向けた強化指定選手「Team CORE」のメンバーの一人。
今号の表紙は男子バレーボールの石川祐希さん。中央大学男子バレーボール部に所属し、東京五輪に向けた強化指定選手として全日本にも選出されている若きエースです。2020年の東京五輪での飛躍に向けた今後の展望や、子どもたちへの応援メッセージを語ってくれました。
――バレーボールを始めたきっかけは?
1歳上の姉の影響です。小学3年生の時、姉の所属する地元のバレーボールクラブの試合を見学していました。するとコーチが、「ちょっと出てみろ!」と言うんです。姉がプレーする様子を見て、おおよそのルールは理解していたものの、どうやってアタックするのかもわからない。短時間で助走の取り方やジャンプの仕方などを教えてもらいました。そして実際に試合でアタックしたところ、いきなり決まっちゃったんです。当時、始めたばかりだった少年野球からの転向を決意しました(笑)。
――ご両親もスポーツ選手だったそうですね。
父は実業団の陸上選手、母はバスケットボール選手でした。
小中学生の時のバレー部は強豪で、毎週末、遠征に出かけていました。部員の保護者が交代で送り迎えをしていたので、時間や経済的な面でとても負担をかけたと思います。そんな中でも、「やりたいことをやりなさい」と常に子どもの意思を尊重してくれたことにはすごく感謝しています。
――バレーボール選手を本気で志したのはいつ頃?
中学や高校で徐々に結果が出始めてからでしょうか。2015年に、イタリア・セリエAの「パッラヴォーロ・モデナ」に期限付きで加入し、プロの世界を体感できたのも大きかったです。
自分の好きなことを職業にできる人はほんの一握りで、決して簡単なことではないとわかっています。でも、実現できる一歩手前まで来れているのだから、今まで支えてくれた方々への感謝の気持ちを忘れず、やるからにはトップをめざしたいと思っています。
――16年末から再びセリエAに海外挑戦されます。
「ラティーナ」に3カ月間加入します。
リオ五輪の予選で日本は敗退しましたが、その要因は、体格の違いによる「パワーやスピードの差」ではなく、世界との「経験の差」だと思っています。多くの日本人選手は、国内リーグでプレーしていますが、海外では他国で活躍する選手も多いです。例えば、対戦国のエースが、対戦経験のある選手で、自分の方が優れたアタッカーだと自信が持てれば、「ウチのチームの方が強い」と、精神的に優位に立って試合に臨めます。それは結果にも好影響を及ぼすはずです。
――子どもたちへの応援メッセージをお願いします。
試合中、あまり良い結果の出ないシチュエーションがあります。それは、「このサーブが入らなかったら」とか、「ブロックされたら」と、マイナスのイメージを持ってしまった時です。その一方で、「やってきた練習を信じよう」とか、「引退する先輩たちのためにも」というプラスのイメージを持って臨んだ時には、必ずと言ってよいほど良い結果がでました。
リオ五輪を現地で観戦し、開催国ブラジルが優勝を決めた会場の盛り上がりを目の当たりにしました。「東京五輪で必ず上位に食い込む」、それが今、自分の描くイメージです。
みなさんも、「こうなりたい」というイメージを描き続けてください。それがきっと、夢を実現していくために必要なことなのだと信じています。