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きみたちには無限の可能性がある 夢や目標を持って、努力しよう!
香川真司 さん (サッカー日本代表)
地元・神戸の マリノFCでプレーする、 小学生の香川選手。
(家族提供)
香川真司(かがわ しんじ)
 1989年3月17日、兵庫県生まれ。FCみやぎバルセロナを経て、2006年にセレッソ大阪に入団。08年、平成生まれとして初のA代表に選出される。
 09年にはJ2の得点王に輝き、同クラブのJ1昇格の立役者となる。10年からドイツ・ブンデスリーガのボルシア・ドルトムントの中心選手として活躍。

 2014年にブラジルで開催されるサッカーW杯出場に向けて、アジア最終予選に挑むサッカー日本代表。
 今回は、代表でエースナンバーの10番を背負い、ドイツ・ブンデスリーガの強豪ボルシア・ドルトムントに所属する 香川真司選手に、中学・高校時代を過ごした思い出の地である、仙台でお話をうかがってきました。


―香川選手は
  どんな子どもだったのですか?


 とにかく体を動かすのが大好きで、バスケットボールや野球、水泳など、本当にいろいろなスポーツをやっていました。その中でも一番好きだったのがサッカーでした。
 5歳の頃には、家の中でボール遊びをしていた記憶があります。この頃、Jリーグが開幕した影響も大きいと思います。テレビで見る三浦知良選手のプレーやゴールパフォーマンスに憧れましたね。
 小学生になってからは、学校から帰ると、自宅前の公園で暗くなるまで夢中でボールを蹴っていました。

―プロになろうと意識したのはいつ頃ですか?

 プロになる夢は、最初から持っていたように思います。でも、はっきり意識したのは、「FCみやぎバルセロナ」と出会ってからです。
 僕の小学校時代のクラブの監督の勧めで、小学5年生の時にFCみやぎバルセロナの練習に参加させてもらったんです。その時、「このチームでなら、必ず活躍できて、将来Jリーガーになれる!」と直感したんです。このチームは、ユース世代には珍しく、ドリブル突破などの個性を大事にする指導方針で、時には、試合中に「パス禁止令」が出ることもあるぐらい(笑)。今の僕のプレースタイルにも通じています。

―12歳で親元を離れてのサッカー留学には、不安はありませんでしたか?


 とにかく、僕自身には「この6年間で、将来プロになれるか、なれないかが決まるんだ」という強い思いがありましたから。
 今思えば、両親は心配だったのかもしれません。でも、どんな時も僕の決断を最大限に尊重してくれました。そうすることで、目標や夢を後押ししてくれていたんですね。

―震災後すぐに、そのチームのある仙台にかけつけられました。

 中・高校生時代にすごくお世話になったこともあり、被災地で僕に何かできることはないかを真剣に考えた時、サッカーを通じて子どもたちの力になりたいなと。そこで、Jリーグや海外で活躍する選手とともに選手会主催のチャリティーマッチに参加したり、被災地の子どもたちを招待して、イベントを開いたりしました。 すごく大変な状況の中でも、サッカーがはじまると、子どもたちは無心でプレーをしたり、応援したり。そして、自然と笑顔になるんです。そんな子どもたちの無邪気な姿に周りの人も笑顔になる。僕も逆にパワーをもらいましたし、あらためてサッカーの素晴らしさを実感しました。
 そして、被災地の子どもたちを勇気づけるためにも、もっともっと、世界の大舞台で活躍する選手になりたいと強く思いました。

―全国の子どもたちにメッセージをお願いします。

 君たちには、無限の可能性が広がっています。いつでもどこでも、自由に夢や目標を持っていいんです。 僕には小さな頃から「プロのサッカー選手になる」という夢がありました。その時点では、プロになれるかどうかは分かりませんでしたが、「大好きなサッカーを続けたい!」一心で、夢を描き続けて今があります。
 みなさんもあきらめず、あせらずに一歩ずつ夢に近づいていってください。


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