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■人生はおもしろい、それを
  •  子どもたちに知ってほしい
  • コメディアン
    関根勤さん
写真:関根勤さん

関根 勤
1953年東京生まれ。大学生時代に「ぎんざNOW」内のコーナー「素人コメディアン道場」で初代チャンピオンとなり芸能界入り。75年、「ラビット関根」の芸名を桂三枝(現・桂文枝)からもらう。82年、「欽ちゃんのどこまでやるの!?」にレギュラー出演する際、本名の関根勤に戻す。2015年には第1回監督作品「騒音」が公開。16年、テレビ番組の企画で冠動脈の狭窄が発見されたが、手術の翌日に退院し仕事復帰。

――どういう子ども時代を過ごしたのでしょう?

 活発でわがままでした。4人兄弟の末っ子で、すぐ上の兄とは7歳離れていたこともあって甘やかされていたのです。兄にも命令口調で話していたほどですから(笑)。
 偏食が激しく、大好きなカレーやウインナーと卵以外は、できるだけ食べたくなくて。だから、給食の時間がつらかったです。担任が、「食べ物を残すのは許しません」という厳しい人で、毎日のように放課後、完食するまで教室に残されていました。
 そのつらさを自分の中で“チャラ”にするために、友だちの前でふざけて笑い転げたりしていました。今では、小学校でのあの日々が、僕をお笑いの道に進ませたのだと思っています。

――その頃、もうお笑いの道を意識したのですか?

 中学2年生の時にものまねに目覚めました。母がファンだった歌手の西郷輝彦さんの「星のフラメンコ」をまねしてみたのが最初です。クラスメートにすごくウケたんです。自分では「面白くない!」と突っ込まれるだろうと思っていたのに、みんなゲラゲラ笑っているんですよ。うれしかったなあ。それからです。毎日、いろんな役者さんやタレントさんのものまねをするようになったのは。その頃の仲間五人でグループを組んで、他校の文化祭に飛び入りしたり、自分たちで会場を借りてイベントを開いたり、プロになるまでの8年間ほどお笑い活動を続けました。
 家族の甘やかしというか愛情、それにお笑いとテレビが、様々なストレスから僕を守ってくれたと感じています。

――娘さん(関根麻里さん)とは、「理想の親子1位」に選ばれ続けています。

 娘に教えたのは「人生は楽しい、おもしろい」ということだけです。
 例えば、一緒にお風呂に入って「ケツケツケツケツ」と歌いながらお尻を振って、娘が私のお尻をたたく「ケツダンス」など。人から見れば、ばかばかしいと思えるようなことをしながら、日常のあらゆる場面で徹底的に笑わせました。
 自分が小学生の頃に、給食のつらさをチャラにしたように、私の中には「天秤」があって、楽しいことやおもしろいことを乗せるプラスの皿とつらいことや悲しいことを乗せるマイナスの皿があるのです。プラスの側をずっしりと重くしておくことで、マイナスの方に多少、重りが乗ったとしても大丈夫だろうと考えてのことです。

――子育て中の保護者や教職員にメッセージをお願いします。

 「人生はおもしろい」ということを子どもに伝えてください。そのためには、子どもとまず共感することが大切だと思います。
 娘が「勉強がおもしろくない」と言い出したことがあったのですが、その時は「うん、わかる。勉強、つまらないよね」と共感してから、「でも、大事だよ」と話しはじめるようにしました。 「将来やることと今の勉強は直接に関係していないかもしれないけれど、今、頑張って勉強すれば脳が刺激されて、それがきっと役に立つよ」と。「お父さんは勉強しなかったから、10年ぐらい遠回りしたもの」というオチをつけることも忘れませんでした。
 それと僕が心がけたのは、妻に感謝することでした。「いつもありがとう」と口に出して言うようにして、娘には「いいお母さんもったね」と。子どもと接する時間は妻のほうが長かったし、母親がストレスを抱えていると子どもに伝わってしまうでしょうから。。

――お祖父さんになられました。

 孫はかわいいです。なぜなのかを分析してみました。娘を育ててきた年月が孫に乗っていくように感じます。孫のかわいさに娘かわいさが加算されるのです。
 今は孫の成長の様子を見ながら、娘が中耳炎になって慌てたことや、授業参観に行ったことなどが思い出されます。次は孫の成人式をこの目で見ることが夢ですが、娘からは「ひ孫を見るまで!」と言われています(笑)。

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