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■大人が道しるべとなることで
  •  子どもに「新たな成功体験」を
  • 野球解説者
    古田敦也さん
写真:古田敦也さん

古田敦也
1965年、兵庫県生まれ。兵庫県立川西明峰高校卒業後、立命館大学、トヨタ自動車の野球部で活躍。90年、ドラフト2位でヤクルトスワローズに入団。98年、日本プロ野球選手会の第5代会長に就任。プロ野球の未来を見据えながら、さまざまな提案、活動を行う。2006年シーズンより、29年ぶりの選手兼監督として東京ヤクルトスワローズを率いた。07年に現役を引退し、現在は野球解説者、スポーツキャスターとして活動する。

――捕手一筋の野球人生ですが、なぜ捕手を。

 小学3年の時、父親のすすめで地元の少年野球チームに入りました。入部早々、ポジションを決めるための話し合いで、監督が「キャッチャーをやりたい人は?」とみんなに声をかけました。その途端、友人が「古田君ができます!」と。「体型が太目だからキャッチャー」という発想だったようなのですが、監督に「できるのか?」と念押しされ、勢いで「はい!」と答えてしまって。これが「キャッチャー古田」誕生の真相です。

――家族が熱心に応援してくれたそうですね。

 当時、我が家は貧しく、両親とも働き詰めの毎日でした。休日も限られていたのに、試合の応援には必ず駆けつけてくれました。子どもながらにそんな状況を理解し、「よし!活躍して喜んでもらおう」と心に誓ったものです。その頃、母には「プロ野球選手になって楽をさせてあげるね」なんて話していました。

――プロ野球選手への道はすんなりとは開けなかったようですが。

 小学生の頃からの夢だったプロですが、中学生ともなると考えが現実的に。高校も自宅から一番近い進学校を選びました。甲子園なんて夢のまた夢。正直、野球は高校でやめるつもりでした。それでも、進学先の立命館大学では監督に誘われるまま野球部に入りました。すると思わぬことに、大学3年時には関西学生リーグで春秋連続優勝、4年時には日本代表にも選出されました。「プロになれるかも知れない」。そう思い始めたのはこの頃です。ところが、期待とは裏腹に、どの球団からも声はかかりません。「眼鏡をかけたキャッチャーは大成しない」との理由からでした。本当に悔しかった。それで火が付き、「絶対に見返してやる!」と決めて社会人野球のトヨタ自動車に。2年後のドラフトでヤクルトスワローズに指名され、プロ入りできたのです。

――諦めなければ夢はかなうものですね。

 今の子どもたちを見ていると、あまりにも物わかりが良すぎるように感じます。インターネットで手軽に情報が得られる一方で、何かと比較して「自分には無理だ」と簡単にあきらめ、可能性を狭めている傾向もあります。私の幼少期にはインターネットなどありませんから、夢は夢で抱き、それがかなうかどうかなんて二の次。悩むより先にチャレンジする。それぞれの道で成功している人というのは、「根拠のない自信」を持ってチャレンジできる人なのだと思います。
 自分自身、何度も諦めかけはしたものの、「野球が好きだ」との思いで続けてきたからこそプロへの道が開けました。だから、子どもたちには結果を先読みして諦めることだけはしてほしくないのです。

――そんな今の子どもたちに接する先生や保護者にアドバイスするとしたら?

 時には、「問答無用で言い聞かせる」ことも必要だと伝えたい。一昔前は、両親や先生など、年長者の教えは絶対でした。それが今は、大人が子どもに気を使いすぎている。「子どもの意思を尊重するため」と言われるかもしれないが、多くの子どもたちは、あふれかえる情報の中でやるべきことを選択できずにいる。そんな子どもに、「とりあえずこれをやってみろ!」と言ってやることも重要なのではないでしょうか。
 これは投手と捕手の関係にも似ています。投手はピンチになると自分の得意な球種を投げたがります。しかし打者もプロです。その裏を読み、あえて投手の得意な球種を待っている。捕手は、そんな打者の狙いを察知し、「違う球種で勝負するぞ」と言うわけですが、投手からは「責任取ってくれますか?」と返ってくる。
これは、「責任取ってやる!」の一言で背中を押してほしい、納得して次の一球を投じたいという気持ちの表れなのです。
 時代に逆行した意見かも知れません。しかし、保護者や教職員などの大人が道しるべとなり、「新たな成功体験」を生むことができたならば、それは子どもの可能性を広げることにつながると思うのです。

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